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日本からヨーロッパへ、銀杏は、ドイツ語でも、フランスでも、GINKGO(ギンコ)、世界を旅した名前なんです。



まさかの!!ギンコのお名前物語♫♫?

先日、お店に一人のおじさんが入って来て、いきなり 「このギンコって名前、ドイツ語が日本語の間違いからなってるって知ってるの?」 って言うのです。

なんのこっちゃ?? と思い、「知りませんけど、そうなんですか?」って聞いたら 「そうだよ!ケンペルさんが伝えたのをスペルを間違ったんだ」 って言うんです。

「ケンペルさん?????」 「ケンペルさんが長崎に居た時に、長崎弁でイチョウをギンギョウって言うのを間違えてギンコになったんだよ」 ってそれだけ言って、去って行ってしまいました。


なになに????? と、思って調べてみました。

そしたら、ほんと、ほんと!!!本当にケンペルさんのスペル違い?だったのが、判ったんです。


ケンペルさんって誰?

それは、1690年から1692年(元禄3年〜5年)日本がまだ鎖国の時代に、長崎の出島にオランダ商館医として来日した、「出島の三学者」と呼ばれる、日本の事をヨーロッパに紹介した学者たち、ケンペル、ツュンペリー、シーボルト。

その一人であるエンゲルト・ケンペルが伝えた植物で一番有名なのが銀杏「イチョウ」なのだそうです。

そもそも中国から日本にイチョウが伝わったのは鎌倉時代でその時の豪族によって、南宋から銀杏の実が伝わりました。

ヨーロッパでは絶滅したとされるイチョウが長崎の神社の境内に繁茂し巨木になっているのを見たケンペルは驚愕したのだそうです。

日本では、当たり前のように見られる銀杏の木ですが、イチョウは古代の樹木で、中世期、(恐竜の時代もこの中に入ります)世界的に繁殖した樹木です。しかし、氷河期とともに、世界のイチョウ科の植物は、ほぼ絶滅して、残っているのはこの種類だけなんです。そのため、ヨーロッパでは、化石でしか見ることのできない樹木だったのです。

博物学者のケンペルは、早速、江戸時代のイチョウの呼称であった「ギンキョウ Ginkyo」の名前でヨーロッパに紹介したそうなんです。

彼の原稿を目にした、植物学の祖と言われるリンネが学名を付ける時にyスペルを筆記体でgと書いてしまい、 Ginkgoとしてしまい、ギンコと発音されて広まってしまったのだそうなんです!

しかし一説によると、ケンペルが間違いまたは、何か考えがあって、Ginkgoと綴ったという説もあり、そこはちょっとした謎なんです。

一度付けられた学名は変更する事が出来ず、今でも図鑑にはラテン語でGinkgoと記述されています、 かくして、銀杏の木はドイツ語でもフランス語でもGinkgoとなっているんですって!

GINKGOと言うの名前は、私がスイスでお世話になったお店のオーナーフローリストのフランシスカが「オリエンタルなイメージがある」 と、付けてくれた名前ですが、日本語でも「銀杏」を読み替えると「ギンコウ」だな〜って不思議に思っていたので とっても腑に落ちたのです。

私自身、スイスに渡ってフローリストの修行をして日本に帰国して、GINKGOをはじめましたから、銀杏と同じ旅をしたようです。まさに、運命にピッタリくる名前だったんだなぁと思ったのです。


ちなみに、現在のイチョウと言う日本語の呼び方は葉がアヒルの足に似ている事から「鴨脚樹」という中国名「ヤーチャオ」 が変化していったというのが定説のようです。

イチョウは、葉っぱの形から、広葉樹のように思われますが、実は針葉樹の一種です。

イチョウの葉をよく見ると、線状の筋が全て同じところから伸びてそれがくっついて、葉のようになっています。つまり、くっついた針状の葉なんです。

そして、イチョウは雌雄異株、つまりオスの木とメスの木があるのです。そしてギンナンはメスの木にしか実りません。でも、オスの木とメスの木を見分ける方法は、ギンナンが実るのを確認する以外ありません。

自分のお店の名前でありながらあんまり知らなかったイチョウの魅力、まだまだありそうです。

美しいこの銀杏の樹を与謝野晶子はこんな歌に詠んでいます。

「金色の ちひさき鳥のかたちして 銀杏散るなり夕日の岡に」 与謝野晶子

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